言語化って、書く本人にとっては、アウトプットすることで考えがまとまるというのは確かにあると思うんですけど、それとは別に、言語化することによって、自分以外の他人がどこまで自分の話を理解しているかを可視化する鏡になったりするんですよね。
普段、日常で接している人の中には、何となく関わっているけれど、なんか違和感を覚えるなという人がいると思うんですけど、それって、感覚だけだと、とてもわかりにくいんですよね。
でも、言語化することで、一気にその違和感が可視化されたりする。
同じ言語を話しているとは思えないぐらい違いが見えたり、理解したように見えて、実は表面だけわかったふりして本質を全く理解していなかったり、もしくは、反対に言語化する前から意味を理解している人もいたりすることがある。
それくらい、言語化することで、それぞれの理解度に差が見えてきたりする。
そして、実際には、まったく理解していない人にいくら説明を繰り返してもそれは正直ほとんど意味がない。
というか、話が通る「前提」が違うので、話せば話すほどズレていくだけ。疲れる…。
人によっては捉え方が違うとか解釈の違いという風に言う人もいるけれど、それはもう単に感性の違いとか、生き方の違い以外にないという風にも見えるんですよね。
なので、そういう差が見えた時点でその人との関わり方をスッと変えていく以外にないのかなと思いますね。
ある意味、言語化は「誰と感覚が通る」かを可視化することであるかもしれないですね。