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言葉の理解と本当の理解

言葉を聞いてそれを理解したように見えても、そこに痛みや深い体感が伴わないと、本当の理解とは言えない面も多々あるように思うんですよね。

というのも、実際に何か問題が起きた時や辛い局面が来た時に、同じような場面がやってくるわけですけど、言葉として知っていても、それを行動に移すか移さないかで大きな違いが出るわけで。

簡単な例で言うと、私はテニスをスクールで教わっていますけど、その場でコーチに指摘されてわかった気になって、聞いたことを忘却→また同じミスを繰り返す。そんなことってかなり多いと思うんですよね。

一見小さく見えることですけど、実は長年同じ型でやっていると、癖が出てなかなか修正できなくなるんですよね。自分は今までこんな風にしてやってきたという変なプライドみたいなのもあって。

でも、そこで、家に帰って教わったことを反復して練習してみるとか、振り返ってみたり、素振りをしてみたりすることで、言葉の理解が本当の理解に変わるんですよね。いっぺんに完全に変わらなくとも、少なくとも変わる兆しができてくる。それを何度も繰り返したり、コーチにもう一度聞いてみるとか。

要は、教わったことを聞いただけで理解したと思い込んでしまうことと、それを体感まで落とし込むのとでは大きな違いがあるようにも思うんですよね。

もちろん、日常は忙しいのでそうそう人の言うことをすべて受け取るわけにはいかないけれど、仮にそれが大切なことだとわかっていて、そのアドバイスや忠言が正しそうに見えるのならそれはスルーすべきことではないのかもしれないですね。

そういう小さな積み重ねが大きな違いに変わっていくのかもしれないですね。

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