結構「解釈の違い」って便利な言葉で、それを使う人は案外、詭弁や逃げのために利用していることもあったり。
確かに実際に解釈の違いは世の中に溢れるほどあるし、それを一つ一つ見ていくことは一生かかっても流石にできない(笑)だから基本的には日常で大した問題にならないことはあいまいに流すことの方が多いのが一般的だろうと思う。
ただ、思うに現実が動いているのにそれを「解釈の違い」で済ませるのはちょっとどうかと思うこともある。
例えば、大きな問題が起きていて、それが誰かの言動を起点として起きているのに「解釈の違い」で済ませようとするのって結局それは現実を見ないようにするのと同じことのように感じる。
実際に自分もそんな場面を何度となく見てきたけれど、その解釈の違いをどう捉えていくかを考えないと、いつまで経っても同じことを繰り返すようになる。ある意味そこで考えることを止めてしまうみたいな。
そうすると、誰かが本当に伝えたいことを引っ込めることになる。実はそれが本質だったりすることもあるはずで。
逆にそれを解釈の違いで終わらせるということは、その人にとって、それ以上には触れたくないということでもあるのかも。
例えば、自分の行いが正しいと言っている人がいて、確かに本人にとってはそれが正しいことかもしれないけれど、それが結果的に他人や周囲に迷惑をかけ続けているとしたら、それは本当に解釈の違いで済ませられることだろうかということで。
何かを守るために解釈の違いで済ませようとしているんじゃないかと。
結局、そうなると対話というのは意味をなさないので、「じゃあご自由に。勝手にどうぞ」ってなってしまいますよね。
大体そういうのが繰り返されながら日常が過ぎていくみたいなことって多いんでしょうね。