なんか認識の違いで済ませるっていうのは、その場では場が収まるから一見良いように見えるけど、根本的な問題解決には至らないんですよね。だから、だんだんそれを繰り返していくとズレが拡大していく。気にはかけているけど、要はなかったことにして済ませようとする行為。
そうすると、誰が苦しむかと言うと、当事者だったり、その問題を問題として見えてる人。
現実は動いているのに、そんなことないよ、気のせいだよ、気にしすぎだよ、神経質?みたいに言われて、相手や周囲は真剣に受け取ろうとしない。
それは得てして見えているレイヤーが違うから起きる。
それを言語化すると強烈に反応する人がいたりすることも。
なぜなら、それはかなりその人にとって図星で痛いところを突かれたことになるから。それを問題として扱うと、その人たちが困るから。自分がその問題に関わったことを認めてしまうことになるから。
で、その言語化したものを潰しにかかる…。なかったことにする。そりゃ楽だわ。潰せば見えなくなるわけだから。問題に向き合わなくて済むのだから。
そういうのが常態化・当たり前化、またはスルーし出すと、優秀な人・まともな人ほど、「もういいか。こんなところにいても報われないや」って言って出ていくみたいなことは多分あちこちで起きてるんじゃないかなと思ったりもしますね。
それがある意味、その場の質を決定付けるみたいなこともあるのかもしれないですね。